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カレンダーガール

それはハッカ、これはにっき

欠けボタンの浜

  今日で連休も終わりである。去年よりは充実していた、と思う。

 

 

 

  帰省したときに、お前の将来なんかたかが知れてる、と親に言われたのが心に残っている。赤ちゃんは無限の可能性を秘めている、というような話をしていたときにさらりと言われた一言だった。別に何でもなれるとか思い上がっていたわけではない。ただ昔のように、もうなりたいものを両手の指を折って話すような歳ではないのだなぁ、なんて実感してしまった。なりたいものではなく、なれるものにしかなることは出来ないのかもしれない。もうそういうことを考えなければならぬのである。何が出来ると言われると何も出来やしないし、仕送りなしには生活出来ぬ身である。考え出すとすっかり暗い気分になってしまった。

 

  今にはじまったことではなく、春から、いやもしかするとお前の輝きはもうないなどと言われたあの日からかもしれない、何となく以前のような無鉄砲な自信は段々喪失しているように思える。歳といえばそれまでだ。物事を知れば知るほど自らの不甲斐なさが染みる。

 

  とまぁ、下宿先に戻ると大抵一人だし頭の中はジ・エンドオブザ・ワールドみたいなモードに入って自信の類はどっか行っちゃったりするわけである。

 

  でも先日思ったのが、あまりに自信を失くしてもいけないということだ。こう、会える日を楽しみに頑張ります!なんて言ってくれる子もいるわけだし、そうやってちょっとでも頼ったり信頼してくれてる人たちに失礼ではないのかと。過去の自分を評価してくれているだけだとしても。弱みを見せたくないとかそういう話ではなく、単純に度を越して自分を貶め批判するだけで傷ついたりそのふりをするのは良くない、ということである。

 

  結局、会いたいとか言われるとわーい!うーれしー!!私も頑張る!!なんてことになり、火曜日の某ナクションのライブ視聴は消えてしまった。残念。しかし女の子とのディナーには勝てない。おばさんなので会いたいです!なんて言われたらほいほい行く。一応言っとくとその気はない。でも普通に嬉しいことないですか?

 

 

 

  何が言いたいかよく分からなくなってしまった。つまり、あまり自信を失くしすぎるな、という自戒である。何処へも行けないなら開き直って何も考えずに羽根を伸ばして、手も足も伸ばしてしまえ、と思う。...まぁ実際は明日からも端の席にこっそり座っているのだろうが。

 

  今日は星を観に行きそれでいろいろ思い出したこともあったのだが、それはまた明日にでも。

 

  明日からまた学校である。
  夏休みまで、試験を挟む長丁場であるが頑張ろう。

 

PS.タイトル曲は歌詞が通して逸脱なので抜き出せなかった。原曲もアジカンのカバーも良いので気が向いたら検索して一聴をば。

Idaho/アイダホ

  帰省も終わり今は下宿先である。いろんな人と久しぶりに会えた有意義な帰省だった。

 

  髪も切りに行った。地元で小さい時から切ってもらっていた方が、春に独立して美容院を開いており、夏ぶりにその方に切ってもらった。

  90歳の祖父の見舞いにも行った。ダジャレも飛ばすし元気そうで一安心。しかし、そこでちょっと漫画のような間抜けなエピソードが。

 

  1日にお見舞いに行き、「これつまらないものだけど...」と手土産を渡そうと紙袋の中を覗くと...。ない。入れたはずの抹茶わらび餅がない。紙袋の中にビニール袋があるだけ。「ごめん、家に忘れたみたい...」私が祖父に会いたいと言い、連れて来てもらったのに手土産を忘れてしまった。ちょっとあんたそれはないわよ、どういうこと?!と笑いながらも険悪ムードになっていく母。呆れて何も言わない父。祖父が「〇〇(私)は明日もワシに会おうと思うて忘れて来たんじゃ。そんな言うてやるなや。」と取り持ってくれたおかげでその場はおさまった。というわけで、その翌日も祖父に会いに行った。その日は役場の方が来る予定だったのだが、平日で立ち会える者がおらず困っていたそうなので、私がお見舞いも兼ねて立ち会うことになり結果オーライ(?)となった。おじいちゃん子の私も祖父に二度も会えて満足。

 

  加えて生後1ヶ月の赤ちゃんがかわいすぎた。フラッシュと音を消してたくさん写真を撮った。お風呂に入るときのセクシーショットも撮ってしまった。門外不出である。祖父が退院すると、0歳と90歳が数ヶ月同じ屋根の下で過ごすことになるそうである。感慨深い。

 

  他にもいろんなところへ行きいろんな人と会った。

 

 

  翻って今日は引きこもっていた。帰省の時はかなりはしゃいで食べてあちこち行っていたし、それなりに疲れていたようである。外に出る気も起きなかった。

  何をしていたかというとのんびりとストレッチをし、好きな歌詞を延々写経していた。実家に戻ったときに、好きな歌詞を書き留めていた歌詞ノートを発掘し、久しぶりにやってみたくなったのだ。確か、ロッキンオンジャパンのライターを見習ってはじめた気がする。

 

  実際書いてみるとまず、自分の字の汚さに嫌気がさした。が、そのうちそれにも慣れて詞の良さを実感する。何となく聞き流していたところも浮き彫りになり、全体像が見える。音にもあってメロディーもいいのは勿論のこと、単体で抜き出しても味わい深い詞は素晴らしい。

 

 

  その一つを有名であるものからあげると、「雨は止んだよ  傘を閉じる手が鈍く悴んで」というのがある。雨が止むと、たいてい虹がかかっていたりそれを"君"に伝えたくなったり、というところだが、この詞にはそんな幸福感はない。ふと見上げて虹を見つけたりしない。雨で冷たくなった傘を自分で閉じるのだ。

 

 

 

  側からみるとそれ楽しい?と聞かれるだろうがとても楽しい。あと、逆立ちの練習もした。三点倒立の段階できつい。バランス感覚は悪くないほうだと思うのだがどうしても出来ない。誰かアドバイスを下さい。

 

  明日が最後の休みである。今日は夜更かしでもして休みを満喫するか、と思っているが既に少し眠い。みずがめ座の流星群が見えるらしいのでなんとか起きていたいところだ。

 

 

"小指の先で君の影が脈打ったり  閉じた瞼の裏で闇が這いつくばったり  まだ置き去りの波打つような後悔たち  また取り戻すために今を積み上げたい"

Disaster of Youth

  今日はゴールデンな一日だった。

 

  昨晩、一度話してみたかった人と日を跨いで割と長い時間話した。何となく空気や相槌の間などが近かった(気がする)のではじめから話しやすかったし楽しかった。話し終え少ししてから眠りについた。

 

 

  特に予定もなかったので目覚ましはかけていなかったが、カーテンが少し開いていたのでそこからの日の光で目が覚めた。ストレスのない、理想的な目覚めである。適当に朝ごはんを準備して食べたあとは、音楽をかけて聞いていた。実家に帰って思い出したのだが、我が家はいつも音楽がかかっていた。電話口の相手の声が聞き取れないほどの大音量で。試しに下宿先の外で騒いでいる音と、実家の家の中で流されている音量を録音したものを比較して聞いてみると、明らかに後者の方が大きい。ずっと当たり前であったから、BGM程度にしか思っていなかったのだろう。

 

 

 

  暇つぶしがてらCDの枚数を数えてみた。おおよそだが、私の所有枚数は450枚程度、両親あわせての所有枚数は1200枚、レコード150枚程度であった。普通の人よりは多いのではないかと思う。毎日120円の素うどんを食べ続け昼食代を浮かせていたのである、その賜物だ。しかし案外と少なく、今まで盛った枚数を教えていたことになってしまった。

 

 

  そんな風にぼんやりと過ごしながらずっと音楽をかけていた。アジカン、The SALOVERS、a flood of circleGorillazなどである。一度とことん度を越して好きになったものは、いつ聞いても好きだし飽きることはない。特に中高時代狂ったように聞いていたものには、(実際友人に引かれそうになるほど聞いていたし、親にオーディオ一式取り上げられたこともあった)自身の価値観に少なくない影響を受けた。今になってこんなことなのかと解釈が変わることも多々あるが、そんな風に難しく考えなくても流れてくる音楽は素晴らしいし、外は雲ひとつない晴天である。

 

 

  小6から愛用している腕時計を修理に出しているのもあり、今は時間にいつもより鈍感になっているのかもしれない。  もう5時過ぎの夕方である。村上春樹の登場人物なら、聞いている音楽はレコードだし、ここらあたりでクラッカーとウイスキーが出てくるのだろうが、あいにくそんな気配はない。騎士団長殺し、個人的には海辺のカフカ1Q84が混ざった印象を受けた。続編を待つ。

 

 

  久しぶりに何にも考えずにのんびり出来た気がする。いい一日だった。まだ夕方だけど。

 

 

 

"少年は大志を抱きすぎて死んだ  そして生まれ変わるのさ  青春の向こう側で  いつか待ち合わせをしよう  恋すらも忘れるほどに  ヤバい速度でぶっ飛ばしたい"

幸福論

  一昨日は徹夜で部屋の掃除もとい断捨離をした。めちゃくちゃ捨てた。受験関連のものも入学当初のものも。最後のほうは今まで使っていた100均の筆箱も捨ててた。何か大事なものも捨てたかもしれぬ。朝日があたるすっきりとした部屋を見ると、得もしれぬ達成感を得た。

 

  と、その後昨日帰省して今に至るわけである。(ここまで書いていた)

 

  本当は、祖父のお見舞いに行った話とその時思ったこと、久しぶりにゆっくり実家に帰ってきて今思うこと、姉妹で歩いていて私が妹に見られた話、など書きたいことは山々だが、需要もないであろう。

 

 

  ただ今私が思うのはただ一つである。

 

  赤ちゃんは可愛い。

 

 

 

  これだけである。いや少子化とかちょっとよくわからない。あんなに可愛いのに???なんで???実際問題、育てるとなれば、それはそれは苦労するであろう。でも泣いても笑っても可愛い。

 

  本当は明日帰る予定だったが、一日滞在を延長して、明日は赤ちゃんを愛でに行くことにした。メロメロである。祖父となった従兄弟の父も相当だが、私も相当メロメロである。布に包まれて赤ちゃんの姿がまったく見えない、その布まで可愛く見えてきた。二人でメロメロ同盟を組む一歩手前だ。

 

  可愛いは正義。赤ちゃんの可愛さを伝えたいが、ここに記すには余白が狭すぎる。

 

 

 

 

 

追記:幸福論は、出産後子供が数々の重病を患い、人の比じゃなく子育てが大変だった母が子育て中に聞いていた曲らしい。某SNSによって思い出したのも、初めて赤ちゃんを見て触れたのも今日であったのでなんだか不思議な縁を感じた。

 

"君が其処で生きてるという真実だけで幸福なのです"

 

転がる岩、君に朝が降る

  今週末もブックオフタワレコと鴨川を巡り歩いてきた。

 

  4月は、とりあえず真面目に大学の勉強に取り組みながら今まで使えなかったお金と時間を自分の好きなことに費やそうと決めていて、実際そうしてきた。ところがどっこい、充実するどころかなんだか無になる。いや、ある意味では充実している、好き勝手にしているのだから。だけどふとした時に無に還る。別に好きなことをしたからといって、運命的に何かに目覚めてその道まっしぐら...!!みたいな出会いがあるとは思っていたわけではない。(どこか心の隅でそんなことを望んでいたのは確かかもしれないが。)ぼやっ〜とふにゃっとした日々を過ごしている。

 

  思い返せば忙しい忙しい、と言いながら何かに熱中していたほうがやっぱりいきいきしていたと思う。急いて見つかるものでもないが、何か熱中できるものを見つけたい。

 

 

  私が好きな歌の歌詞に「死にたくないとか生きていけないとか 若き日によくこぼしたあの口癖は  いつの日か誰かの心を癒すでしょう  そしてまた新たに生きる喜びを知るのでしょう」という一節がある。そんなもんなのだろうか。

 

  見る限り、世の学生達皆がこのような空虚感を抱いているとも思えない。それとも皆こんなことを何処かで考えながらも日々を過ごしているのであろうか。

 

 

 

 

  今日もCDをたくさん買ってしまった。高校の時分も、食費を浮かせてCDを買ったり借りたりして夜な夜な聞いていた。まるで変わっていない。誰かと話したり声を聞きたいような、けれども一人で物思いにふけっていたほうが良さそうな。本や音楽はこんな時に寄り添ってくれる、私にとっての最高のツールである。虚無は消えても無だから何らかの形で満たさねばなくならないであろう。本や音楽はは満たすことはなくても浸らせてくれる。終わってしまうと現実に引き戻されるが、それでも何かは残してくれる。

 

 

 

  こんな駄文はあとから読むと恥ずかしく消してしまいたい衝動に駆られるとわかっていながら、のんべりだらりと書いてしまう。メンタルがヘラっているわけではない、と思う。感傷的なのも無駄に何かの一節を長々引用するのももともとだ。もともとめんどくさい奴である。もっとこう、締まった日本語を扱いたいものだ。

  4月はこんな感じだった。来月末には何らかの進展が見込めるような日を過ごしたい。

 

 

 

 

"理由もないのになんだか悲しい  泣けやしないから余計に救いがない  そんな夜を温めるように歌うんだ"

魔法のコトバ

  朝から1時間以上散歩に出かけてしまったが、その後は家でほとんど大掃除をしていた。途中、雷、ゲリラ豪雨そして雨上がりの晴天、と外の様子が変化して家の中にいても退屈しない日であった。

 

  まだ完璧に片付いたわけではだいぶものを捨てた。優柔不断な自分であるが、捨てるときは捨てるのだ。捨てた量を見て自分でびっくりした。何か大事なものまで捨てている気がする。

 

 

 

  掃除をしていると不思議な気持ちになる。確かに買ったときには欲しくて堪らなかったり必要だったりしたはずなのに、今はただスペースをとるものと化している。この変化は何だろうか。これは理解されないかもしれないが、どことなく自分の感覚として消しゴムに似ていると思った。消すために産み出され自らを削ることで使命を全うする消しゴム。いるはずだったものを捨てていく行為は、ふとその意味を考えてみるとなかなかおもしろい。しかし、そんなことを考え始めると手が止まるので、その思考は停止してせっせと掃除をしていた。

 

 

 

  まあそうやって一日を消費していたわけだが、17時過ぎにとても嬉しいことがあった。取り立てて言うようなことでもないのだが、やっぱり相手が違うと抱く嬉しさもひとしおである。何年ぶりであっただろうか、優に2年以上経っていた気がする。不意打ちだったのもあわせて、喜びで昇天しそうだった。

  歯の奥にものが詰まったような物言いで申し訳ない。割とプライベートなことなので事細かには記したくないが、日記という体裁をとめている上はこの喜びはぜひここに記しておきたいと思ったのだ。

 

 

 

  とりあえず、この一件を通じて実家に帰ったら自室と家のCDの枚数を数えようと心に決めた。ここでもその結果を記すかもしれない。ただ、そんな数日後に思いをはせるより、今はまず目の前の掃除を終わらせねば。遅くとも5月までには終わらせたい。るんるん気分のうちに。

 

  というわけで今日はこの辺りでやめて、また大掃除に戻るとする。

 

 

 

 

"魔法のコトバ  二人だけにはわかる  夢見るとかそんな暇もないこの頃  思い出して おかしくて嬉しくて また会えるよ約束しなくても"

床には君のカーディガン

  今日から9連休である。自分の通っている大学はGWはいつも長い休みになる。去年はこの時にブックオフで参考書類を買いはじめた気がする。何もすることがないものには退屈な休みである。

 

  3日から帰省予定なので、それまで何をしようか、ここ最近はわくわく妄想していた。残念ながら金銭面に一抹の翳りがあるので、遠出は出来ないのだが。街中に出て寺を巡ってどこかで昼を食べ抹茶の何かを飲んで一息つくのもいいかもしれない。古本屋さんをはしごするのも楽しそうだし、鴨川沿いを歩いて気が向いたら土手で本を読むのもいいかもしれない。規模が小さすぎる?でも授業がある日にはのんびり出来ないことである。一日中好きに使えるとはなんと素晴らしいことだろうか。

 

 

  と、思っていたのだがやっぱり現実はうまくいかない。連休だから、とのことで課題がてんこ盛りになってしまった。いや、それは課題はたくさん出るだろうと踏んでいたが。3日以降はやりたくないので今のうちにすませておきたい。あと、部屋の掃除もしたい。いつも掃除はしているのだが、気分転換も兼ねて大掃除でもしようと思う。いつもだとなかなかキリが悪くなって終わらず結局よくわからないところで切り上げてしまうのだ。ここに書くことで有言実行の有言の段階を終え、あとは実行のみになったのでやれそうだ。

 

  週末は課題と大掃除で潰れるが、5月からはすっきりした心持ちで何か休暇があるときならではのことをしたい。

  今日はふりかえるような一日ではなく、なんだか微妙な文章だがここら辺りで終わりとする。

 

  それでは、また明日。