カレンダーガール

それはハッカ、これはにっき

水色の街

  帰宅後、今日はえっちらおっちら水をもらいに行った。このご時世に水汲みまがいのことである。

 

 

 下宿してから、水にも味があることを知った。実家の水とは全然味が違うし、風呂に入ってもシャワーを浴びてもなんとなくべたべたする。越してきてすぐの時は(その他の要因ももちろん考えられるが)シャワーを浴びると首下と背中にざぁっと赤いポツポツが出来て困った。今はだいぶ引いているが、まだ首下には赤いポツポツが出来ている。

  あと、私は胃腸が弱く年中腹巻が欠かせないのだが、安い腹巻をつけた時もそこだけ赤い斑点が出来て大変だった。安物買いの銭失いを体感した。

 

  今までは店頭で水を買うなんてありえない!と思っていたが、今ではミネラルウォーターの美味しさもわかるようになってしまった。ミネラルウォーターが美味しいというより、水道水がおいしくなさすぎる。そのまま飲む気になれないもの。

   水の味なんて知らなくても良さそうだけど、知ってしまうと美味しいものが飲みたい。進化というか退化というか。どちらだろうか。

 

 

  先日、とあるドラッグストアで、ボトルを買うとなんとかアルカリ水が汲み放題!の広告を見つけ、急遽ボトルを購入した。そうである、種明かしをするとその水を汲みに行っていたのである。怪しい類ではなく、ボトルも安価なもので数回行けばすぐ元はとれる。安売りの水より断然安い。だけども、このままでは水素水などにもハマりかねない。ウン万円のなんちゃら水がよく効く!!!最高手放せない!!!とか言い始めたら、全力で止めて下さい、お願いします。

夢とバッハとカフェインと

  一時期、「逃げるは恥だが役に立つ」というタイトルのドラマが流行った。(ちなみに私は見ていない)これ本当なのだろうか?その真偽のほどは定かではないが、私個人の意見としては、逃げる、というのも立派な選択肢の一つであると思う。まぁそりゃ逃げちゃだめな局面だってあるだろう。でも逃げちゃだめなものから逃げても、どうせ後から倍くらいの負担になって帰ってくる。逃げられないものだって世の中にはたくさんある。逃げれるものからは逃げてしまえ、と思う。

 

  例えば実験レポート。私からすると逃れられないものである。唯一3限が空きコマの今日、おしゃれな校内のカフェに出向き、ガリガリと書き上げた。今年から手書きなので厄介。

 

  と、その数時間後、私は気づくとカラオケ店の前に来ていた。Twitterで当たり散らした癖にまだまだこたえていた。春休みで、一人でいてこころがしんどい時はカラオケで好きなだけ歌うのが一番だと学んだのだ。

  というわけで1.5hのつもりが3.0hになるほど熱唱した。全部で3.40曲歌ったであろうか。一人カラオケだと自分の好きな曲を好きなだけ歌える。無名の曲や、タイトルや歌詞がちょっと人前では歌いにくい曲も歌いまくった。私は気分がのってくると歌えもしない英詞を歌い、とてもあがると「ラヴイズオーバー」を歌いがちである。今日は「ラヴイズオーバー」も歌った。だいぶストレス発散になったと思う。

 

 

  音楽、本、映画、漫画、アニメ...なんでもいいからどんな時でも無条件に好きで、しばしの間だけ現実から逃げられるようなものが一つくらいはあると楽なのかもしれないなぁ、なんて思った。もちろん、その後はちゃんと現実と向き合わねばならぬのだが。  

 

 

  向き合わねば、と言いながらも昨晩は更新する間も無く寝てしまったようである。まぁ、睡眠は大事です、うん。

 

夢とバッハとカフェインと とがったシロップがあれば どこまでも広がるCOSMIC どこまでも広がるCOSMIC"

ロックンロールは鳴り止まないっ

  今朝、実は三度寝した。4時55分に目覚め次に5時45分に目覚め、結局6時30分に起床した。睡眠時間は短くなるかもしれないが、n度寝はそれだけで幸せを感じられる。出来れば毎日起床時刻前に目覚めてしばしの間うたた寝したい。

 

  外はいい天気。外出日和。だが私は昨日映画に行ったばかりであるしお金がない。そうだ、こんなに天気がいいのだから洗濯物を干そう、と急いで洗濯機をまわした。一年で身についた一人暮らしの性である。洗濯物をただ干すのはつまらないので、オーディオでこの間買った新譜を聞きながら干していた。先週タワレコに立ち寄ったとき、久しぶりに名前を見かけて試聴したところあまりに良くて、まったく買う予定もなかったのに候補にしていた他の盤すべてをあっさり諦めて買ってしまった一枚である。圧倒的迫力と曲のパワー。でも重々しい曲と歌詞なのでこれは聞き手を選ぶな、とも思う。おいそれと人にはすすめられない。

 

 

  その後は部屋の掃除を主にしながら過ごしていた。途中、一年程前に壊れてそのままのiPod classicが息を吹き返すミラクルが起きた。そこからはひたすら今まで聞きたいけども聞けていなかった曲を聴いていた。iPodの時間は一年前のままである。懐かしい限りでいろいろ思い返してはもの思いにふけっていた。何を思っていたか書き出すと夜が明けるので割愛する。

 

 

  そんなこんなで日は暮れた。もう一日も終わる。ここのところ毎日こんな感じでまったく覇気がない。自分でもびっくりするほど。植物人間かお前、って感じである。毎日本を読んだりCD聞いたり、友達と(あるいはぼっちで)講義を受け少し喋って寝るの繰り返しである。明後日はバイトの面接だが、なんとかバイトでもして日々の活力を得たいところ。本当にばーさんになった気分である、感傷に浸るのも大概にしろと自分に言い聞かせたい。まだ短絡的とはいえ明確な目標があった日々のほうが何故かいきいきと日々を過ごしていただなんて皮肉である。

 

  来週行けばGW。頑張ります。

 

"今も遠くで聞こえるあの時のあの曲がさ  遠くで近くですぐ傍で、叫んでいる 遠くで見てくれあの時の僕のまま"

荒野を歩け ver.2

  今日は朝から京菓子つくりへと繰り出してきた。京菓子とは奇妙なものである。自分でつくってみるとわかるのだが、京菓子はただ色が違うだけの餡と餡と餡でつくられていたりする。そのままではまったくおいしそうには見えない。しかし、包んで形を整えて模様をつけると、それだけでおいしそうに見えるのである。よくお腹に入れば皆同じ!とは料理に失敗したとき思うことだが、やっぱり見た目も大事だと思った。存外、人間もそうなのかもしれない。

 

 

  その後、まさかの現地解散だったので急遽予定を変更し映画館へ向かうことにした。せっかく市内に出てきたのだから、映画を観に行かない手はない。二本ほど観たい映画があったが、その片方、「夜は短し歩けよ乙女」を観ることにした。

 

  結論から言うととてもおもしろかった。京都を舞台に、特に作者森見さんの母校の大学生のあれこれを描いた作品である。街や校内の描写のほとんどはどこか分かった。いつか巡りに行くかもしれない。あぁ、あそこじゃないか、あんな学生生活が送れてたのかもしれないのか(多分送れない)くそぉ...と、ところどころ勝手に古傷を抉られてもいたが。おもしろかった。加えて、観にきている人が原作好きが多かったようで、映画がはじまる直前まで来場者特典の冊子を食い入るように読む人や、終わった瞬間原作との違いを興奮気味に話し合う人々...などとても居心地がいい会場であった。隣の席に座っていた二人組が鑑賞後原作との相違点について熱く語っており、私も会話に混ざりたくて仕方なく五度見ぐらいして、うんうん、と心の中でうなずいていた。

 

 

  良い(この基準は個人によるものだが)映画や本を一作観終えたり読み終えたりすると胸がいっぱいになる。とてもわくわくする。今日もそんな感じで、このまま帰るのはもったいない、どこかで特別に一人でゆっくり過ごそう、と館内をめぐり結局ドーナツ屋さんに落ち着いた。途中クレープ屋を見つけ目が輝いたが、食べ歩き専門店で中でゆっくりとはいかなかったので遠慮した。クレープはまた今度である。

 

  そうして、そこで一息つきつつこうして書いているわけである。何日かは余韻に浸り楽しく過ごせそうだ。

 

 

 

  出来ることなら黒髪の乙女のように足取り軽やか天真爛漫に日々を過ごし、高らかに「お酒がある限り!」と言い放っていつかは美酒を求めて夜の街を闊歩したいものである。その日はまだまだ遠い、いや永遠に来ないかもしれないのだが...とか考えながら店を出たところで、自転車がドミノ倒しに倒れていくのを目にしたので片付けを手伝った。それだけでもともとの気分とあいまって気分は主人公である。夜の街を闊歩など出来ないが、駅の構内を意気揚々と歩いて帰宅した。私も御都合主義者なのだ。

ハム食べたい SCHINKEN

  昼休憩、それは熾烈なたたかいを強いられる時間である。食堂が狭すぎるために席確保がなかなか出来ない。食いっぱぐれる人も多い、特に今の時期の一年生。このたたかいに勝つために大事なのは一人になることを恐れないことである。複数人で食べようと思うからその人数分の空きが見つからないのだ。一人分のスペースなら見つかる。

 

 

 

  というわけで、私は今日ぼっち飯をかまして来た。本当なら3限必修で2限必修終わりに友人たちと食べるのだが、3限休講のためみんな帰宅するらしい。4限がある私はまだ帰れない。昼を食べようと食堂へ向かう。今日の混み具合は凄まじく、おひとりさまのカウンター席も空きがないほどであった。立往生していたところ、運良く近くのおひとりさまの席が空き滑り込めた。

 

 

  荷物を置き注文を待つ長蛇の列に並ぶ...ことなくその列の横をすり抜け量り売りコーナーへ。一品一品頼むと高くつくわりにそこまでの品数は頼めない。おまけに常に金欠気味なので、私は量り売りコーナーを愛用している。下宿しているとなかなか多くの種類のものは食べられない。せめて昼だけは様々な種類のものを食べ栄養バランスを整えた気になりたい、という理由もある。何故みんな量り売りコーナーに寄らないのか疑問に思う。

 

 

  今日は、ブロッコリーとほうれん草のピーナツ和え、キャベツと海藻サラダ、卵焼き、ひじき、きんぴらごぼう、鶏肉。全部ひとつかみほど、これで260円ちょっと。手持ちのおにぎりと合わせれば充分。量り売りは下宿の味方。

 

 

  レジに向かおうとしたところで、目にチーズクレープの文字がとまる。ここ何日か、クレープは神、クレープに救われた、という文を見ていた私。正直洋菓子より和菓子のほうが好みであるし、しかもクレープはうまく食べられる気がしないこともあり、関わりも薄い。クレープに関する最後の思い出は、卒業記念に友人たちと東京旅行に行き、竹下通りか何処かで雑誌に載っていた有名なクレープ屋さんを見つけたものの、長蛇の列そして人混みのせいで、歩道の反対側にあったクレープ屋に並ぶことすら叶わず、ガン見しながら流された記憶である。この時も食べてないし、ここ最近食べた記憶もない。しかし一連の発言を受け、クレープ食べてみたい、と思い始めていた矢先のこのチーズクレープである。おまけに82円。なるほど、こうやって口コミが広がるのだな、と思いながら購入を決意した。

 

  タネを明かしてしまえば、チーズクレープはなんちゃってクレープで私の予想していたクレープではなかった。片手サイズのクレープ生地の中にチーズクリームが入っているだけだった。ちょっとがっかり。まぁいいお口直しにはなった。

 

 

  昼ごはんを食べ終わった瞬間、いつかクレープ食べよう、と心に決めつつ、ごちそうさまと言い手を合わせた。

元素紀行

  実験初日の今日。課題を昨日にすませ、テキストにも目を通し準備万端!なはずだったが、予習をノートにまとめなければならなかったらしい。なんと!実験前の授業は、予習して家で問題を解いてきて暇だったので、演習タイムに実験ノートにまとめた。セーフ、いやアウトか。

 

  実験は正直あまり楽しみでなかった。テキストを読んでも、めんどくさそう、の気持ちしかわかなかった。今日の実験は、ひたすら試料に溶液を加えて反応を見るだけである。しかも高校でもやったレベルのもの。

 

  しかし、どうしたことだ、実際はむちゃくちゃ楽しかった。いや、あまり厳粛なムードでなかったことはいけないのかもしれないが。

  まず、今日から白衣着用だったのだが(去年は物理実験のみだったため必要なかった)それだけでテンションがあがる。ヤブ医者、エロい、給食着等々いろいろ言いあって始まる前の休憩時間からみんな異様にはしゃいでいた。来週は湯川教授をイメージして服を着てくる子もいるらしい、期待。

 

  物理実験では実験をしてそこから考察が本番、という感じであったが、化学実験では目の前で反応の変化をみることが出来る。「これこれ、この実験を待っていたんだ!物理はくそ!」「このためにこの学科に入った!!」とまで言いはじめる人もいて、みんなイキイキとしていて、実験も早く進んでいた。

 

  ところが、である。最後の実験だけうまくいかない。最後の実験の沈殿の色を先生に確認してもらい合格なら実験終了帰宅なのに。最初はうまくいかないな〜笑、などと笑いながら話していたのだが、途中で他の班に抜かれ、結局最後に私たちの班だけどのペアも合格していない、という惨憺たる様であった。

 

  最後のほうは、「お前らはな〜化学への愛情が足りんのんじゃ〜!愛していればみえてくる!!」などと先生に言われ訳がわからなくなった。沈殿を見届ける前に愛などというこの世の真理を悟らなくてはならないのか。思わず見本の試験管とすげ替えて見せてとっとと帰ろう、と思いついてしまったが、そこはぐっとこらえて実験を続けた。次々と周りが合格していき、私達も最後お情けに近い形で合格をもらった。どうやら初手で反応させる段階を勘違いしていたようである。原因もわかりすっきり。

 

 

  結局私達の班は5時間近くずっと実験していたことになる。もうほとんど誰もいないよな、と見渡すと...いた。同じ実験班の男子(彼氏)を待つ彼女が数名!!!君達実験の日にデートするなよ、終わる時間わからないだろ!!!!!手際のいい彼女たちは30分、いやそれ以上前には終わっていたはずである。何だか申し訳なくなってきた。

 

  私はというと、頼んでもう一度だけ実験してみることにした。原因がわかったのに失敗したままなのはもったいない。夢中に実験していてので数組のカップルが去っていく姿を視界にとめることもなく(本当は2組観測した)滞りなくすすみ最後に成功した。素直に嬉しかった。

 

 

  このあとペアの子といろいろ話しながら帰り、そのあとも話し込んで感じることもあったのだが長くなったのでそれはまたのときに。

 

  とりあえず、課題と予習と手書きレポートは最悪だが実験そのものは最高であった。あまり伝えられてないかもしれないが、本当に楽しかった。白衣の似合う女になりたい。身長が低い時点で望み薄だが。

 

  残るレポートは頑張るしかない。

 

 

 

  ところで、落ちるという言葉には悪いイメージがつきものですが、何故恋だけ落ちるというのでしょうか。コメントにでもこっそり教えてくれると嬉しいです。

お祭りのあと

  今日は他に書いている件があったのだが、それは割と真面目で普遍的な話だからまたの機会に譲る。真面目な話をしている日は大抵何にもなかった日である。

 

  今日は4限目から腹痛が再発してなかなか辛かった。辛かったというか限界だったので途中一時退出した。昨日の夜は眠れなかったが、朝になるとおさまっていたので安心していたのだが...。今日から最後の手段を投じることにした。これでだめだったらもう耐えるしかない。うーむ、困った。

 

  5限までなんとかこなし、その後、昼パソコンが空いてなくてできなかった翌日の実験の予習課題をこなしていた。今日は午後からは何一つ積極的に取り組めておらずこなす感じであった。おのれポンポンペイン。

  どうせ使うならとことん使ってやろう、と思い某TUBEに繋いで適当に曲を探して聞いていた。意外にもすぐに課題は終わり(というより終わらせた)何となくそのまま曲を聞いていた。と、昔ハマって今もその曲をよく聞くバンドの知らない曲を見つけた。最近追いかけていない、新曲だろうか。ポチっと押して聞いた。

 

  その曲がかなりかっこよかった。いや、曲や歌詞じたいは目新しいテクニックがあるわけでもなんでもない。さあ行こう、生まれ変わる、と繰り返されてきたテーマを歌っているだけである。でもなんだかPVのメンバーも最高に幸せそうだし歌が響いてくるのだ。脱退、解散の危機を乗り越えたバンドが歌うと得もしれない決意を感じる。かっこいい、最高。帰宅してすぐに買ってしまった。

 

  このところは週末の古本屋とタワレコ滞在、昨日の弾き語り、今日の曲漁りなどと去年はやりなくても我慢していたことをポツポツと思い出してはやっている。特に意味はない。でもようやくそういう些細な、だけども好きなものに目を向ける余裕が生まれてきた気がする。3月あたりは本当人に言える状態ではなかった、かなりひどかった。いつか自ら語りだすかもしれないが。

 

  これが自らの進路に具体的に何らかの影響を与えるものでないことは明らかである。現実逃避の一種と言われても仕方ない。だが、一応少しの余裕は出てきたということがわかったのでまぁ悪くはない兆候かな、と考えている。

 

  GWも10日をきった。今年は実家に帰らなければならないかもしれない。祖父の容態が思わしくないようで少し気がかりであるからだ。祖父には立ち止まってるような姿ではなく、元気な姿を見せたいものである。

 

  追伸:昨晩は更新せずに寝ていたようである。悔やんでもあとの祭りだった。