カレンダーガール

それはハッカ、これはにっき

Blood&Bones

久しぶりにブログを見てみたら、モンサンミッシェルのオムレツを食べたくなった。オムレツって意外とつくるのムズカシイ...。

 

個人的に5.6月の初夏は好きな季節である。日差しが好きなのだ。暇さえあれば、いやなくても授業中だっていい、窓からぼっーと外を眺めてはきれいだなぁなんて思っている。とある有名人が「(5月の日差しは)反射光成分に緑がのっている」と表していたが、なるほどそんな光が降り注ぐ時期。晴れの間にたまに降る雨も乙なもの。日常も心なしかテンションは高く財布の紐もゆるく、「経験はお金に変えられないですよね!うんうん!!」と一人納得しながらチケットを買い、ライブに行っている。

 

というわけで、先日参戦してきたライブについて書こう。

5月16日(水)a food of circle~Here Is My Freedom Tour~VS the pillows@京都MUSE

 

と書いてもへ?って感じだと思うので説明すると、これはアルバムリリースツアーの対バン形式のライブである。対バン?へ?って感じだろうか。

対バンというのは2バンド以上が同じ公演で順々に演奏するライブの形式である。1バンドが演奏する→転換→次のバンドが演奏する→...→トリのバンドが演奏する、って感じでライブは進んで行く。今回は2バンドで先攻the pillows、後攻a flood of circle

「ライブ」というと思い浮かべるのは、レーザービームがビビビ!と放たれていたり銀テが舞っていたり、かもしれないけど、ライブハウスのライブはそんな華やかさは全くない。ステージに機材がドーン!と乗っていて、その(段差も30cm程度の)隔てたすぐ下の手すりの先がスタンディングエリアで観客の立ち位置なのである。そう、めちゃくちゃ距離が近い。

 

それではここからセトリを交えながら感想を...といきたいところだが、なかなか有名じゃないバンド同士なので詳細は省こう。と言いつつ少し雰囲気だけ書くと、入ったら2列目、最終的に押されまくって最前列にいて、もうもみくちゃ。後ろから人は飛んでくるわ、サビでマイクを投げ捨ててボーカルがダイブしてくるわで右目が腫れた(笑)。うーん、イッツオールライト!

 

そしてライブに参戦して考えたこと。

 

人生はクソゲーである。

よく「楽しそうだね!」と言われるし実際楽しんでいるとも思うのだが、やっぱり人生はクソゲーだと思う。ゲームなんてパックマンテトリスくらいしかしたことないけど。

「何回転んでも立ち上がれるから希望を持て」なんてことを言う人がいるが、ゲームオーバーしないことが希望だなんて誰が決めたのだろう。『どんなに戦っても 全部ムダなら 完璧なトドメを刺してくれ』(by a flood of circle「Rodeo Drive」)トドメを刺されないまま、傷だらけで生かされる。そう、好かれたって嫌われたって達成できなくたって誰かが死んだって、いつ来るかわからない終わりまで進んでいかなければならないのだ。もう終わったことにしたりなかったことにしてしまえば楽だし、諦めをつけることだって立派な決断の一つ。

だけど、メンバーが失踪しても脱退しても減っても、音楽性が変わっただのなんだのと叩かれたりしながら、そして私自身も一時期意識的に聞かなくなった、そんなバンドがまだ一度も止まらずに続けているという「続いている」ことそれ自体が、その存在が燃え上がった夜だった。京都の街中の片隅で、薄暗いライブハウスの中で燃えていた。

『生まれ変わるのさ 今日ここで変わるのさ 不可能の壁を壊し続けて』(by a flood of circle「New Tribe」)

こんなのダサいなと思う。人にすすめられるか?と問われたら私は万人にはすすめられないだろう。だけどどうしてか信じてしまう、拳をあげてしまう。それはきっと響かせる彼らが「ロックンロールバンド」だから。終わらないなら終わらせてしまえ?いやいや、終わらないから進んでいくしかないのだ。例え後戻りでもつま先は前に進むように向いてるらしい、心配いらないんだって。

一節に、メロディーに、たった数時間のライブに、とあるロックンロールバンドに、背を押されたら日々はなんとか乗り越えられてしまう。やっぱり、人生はクソゲーである。

 

"さあ行こう 俺たちが今 燃え上がるのは 生きてるから"

春の嵐

  絶望と希望が入り混じる春はいつも淡くてピンぼけだと思う。

  春の嵐が来てから春の嵐ばかり聞いている。

  かなり気に入っているのだが見かけないので自分の覚え書きのためにも全文書いてみる。

 

春の嵐a flood of circle

作詞:佐々木亮
作曲:佐々木亮

 

夜更けの雨はまるで
汚れた冬を洗い流していくようだ
どうか拭えない涙さえ洗い流しておくれ

 

嵐のように夜風がはしゃぎだす
花を蹴散らして 僕の街に来るらしい
でも嵐のように 君はなんか嬉しそうに
待ち焦がれてた 春を思い描いている

すべて吹き飛ばしてしまえ
春 君は残酷な春の中

 

嵐が来たら 悲しみも飛んでくかなんて
君は愚痴ってる 救いはないと僕は思う
でも嵐が来たら 傘もなく春を探す
風を集めて 竜巻台風どこだっていける

すべて吹き飛ばしてしまえ
春 君は冷酷な春の中

 

嵐の夜が過ぎても 冬の悲しみは消せないって
僕らは知っていたのに 救いの春を待ってしまう
何もかもが悲しみを抱いたまま
でも何もかもが明日を思い描いている

すべて吹き飛ばせなくても
春 僕の目の前の春をゆく
嵐の中で僕は踊る
嵐の中で君と踊る

 

雨は夜明けとともにあがって
朝日が木々を青くしていく
とうとう拭えなかった涙さえ包んでいく 春の光

春の嵐

  今日は髪を切ったあとに、中高の同級生で予備校を辞めて調理専門学校に通っていた子の卒業制作展に行ってきた。自分がこういう部類に疎いこともあり、あまり期待はしていなかった。そもそも、料理は食べるものなんじゃ...??展示では魅力も半減以下なのでは...と。しかしその思いは一足展示室に足を踏み入れると粉々になった。

 

  はじめに入ったのは製菓の展示。

  綺麗にカーブし光沢を放つ飴細工、カラフルなケーキ、本当に食べられるのか疑うようなキャラクターの数々...。製菓は華やかな機会に立ち会うことが多い故であろう、きらきらした幸せが部屋いっぱいに詰まっていた。

 

  次に和食、洋食、中華の展示コーナーへ。

  製菓はまだテレビで見たことがあるが、思えば食事の展示なんて見たことがなかったかもしれない。部屋に足を踏み入れると、私の中の「料理=食べ物」なんて等式は名もなき展示室で音もなくぶち壊された。コンセプトも様々で想像が作られた創造品。料理は表現だ、芸術だ。愛の言葉を何年も人々が探しているように、誰かを思い描き自分の技量を尽くしてつくられた料理が並んでいた。見るだけで伝わってくる。「香りをお楽しみください」とよく言われるが、目でも楽しめるものだったとは。いや、楽しいだけじゃない。迸る情熱を感じる、皿の向こうに誰かが見える。ああ、プロだなぁと思った。自分の自炊と比較するのもおこがましい話だが、自炊の向こうには誰の顔も見えない。だけど、並んだ作品の向こうにはきっと楽しみにしているであろう誰かの顔が見える。誰かのための料理である。

 

  ひと通り見てから学校を出て、私は二年間で何か得られたか自問自答せざるを得なかった。その後、先述した子とはまったく連絡をとっておらず特に仲が良かったわけでもないのだが、思わず感想を述べる旨のDMを送ってしまった。彼女は驚きながらも思いのほか喜んでくれた。今度はぜひ職場に来て!とのことだった。

 

 

 

  頑張んなきゃな、ととりあえず決意を新たにしてここに記している。髪切ったって変わりゃしないのだ。

 

 

"すべてを吹き飛ばせなくても 春  僕は目の前の春をゆく"

旅立ち前夜

今日は国公立二次試験前日である。

すなわち、私が仮面を脱ぎ捨てて一年なのだ。

 

昨年受験したことについて驚くほど後悔がない。落ちたら無駄だったなぁと思うとばかり思っていたのに。仕方ない奴だなぁと自分に苦笑するだけ。

 

夏を過ぎるまでは辛かった。毎週末鴨川を見に行き、日が沈んで水面が黒くなるまでカップルが等間隔に並ぶ川べりに座り込み、せせらぎと弾き語りのリュウジが歌う海岸通りを聞いていた。

 

今日22時前に鴨川を通り過ぎた。まだ冷たい風が吹く2月末。夏前にはたくさんいた浴衣の観光客なんていない季節。ふと橋の下を見下ろすと、リュウジが歌っていた。川べりは寒い、カップルなんていなくて「なんか下さい」と書かれた黄色い札だけがリュウジの横で揺れていた。もう歌い終わったあとだったのか、今日は海岸通りは聞けなかった。

もう川べりには下りなくていいかな。そんな気分だった。

 

それまで取り組んできたことに見切りをつけるのは時として受け入れられないものだ。いくら結果として提示されても。

多分春も夏も引きずっていたのだろう。だけど今はもう完全に私の番は終わったのだ。そう思えたことに少しほっとした。思えば2月24日が試験前日じゃなくて、ちゃんとその日だと捉えられたのは数年ぶりだ。

 

受験生に春が来るように祈りながらちょっとだけ一年前の自分に思いを馳せ、駅へと歩を進めた。一年前の決断が良かったのかはわからないけれど、純粋に日々を楽しめる今日へと確かに繋がっていたのだ、大げさにそんなことを思った。

 

 

"忘れやしない  捨てたりしない  迫りくる明日に何を見つける"

奇跡

  何とはなしにまた書いてみる。

  約3ヶ月ぶりである。例の通り日記はつけているのだが。

 

  学校がはじまった。

  図書館が閉鎖してしまった学校では一人になれる時間も場所もない。本が読めないのはかなり痛い。

  行き場を失った学生は食堂に雪崩れ込み、特に欲しくもないけれどジュースやお菓子を買って席についてだべる。今学期の食堂とコンビニは売上が伸びると私は踏んでいる。

 

  夏休み。もう終わってしまったけれど、今年はいろいろな所へ行き、中高時代の友人と会ってきた。青春18切符をまた使って今度は待ってくれる人がいない地に行ってみるのもいいかもしれない。

 

  最後の週末は、梅小路公園で開かれた京都音楽博覧会に行って来た。前日夜9時にチケットを取り翌日11時前には会場に到着、という思いつきもいいところの参戦。だがしかし、これが思いの外素晴らしかった。

  知らない良質の音楽が放たれていくのを聞きながら、芝生の上でカルビを食べたりモヒートを飲んだり。お酒が飲めて良かったなぁ、と思えた数少ない一コマだった。「みんな同じ空の下」なんて浮ついた台詞は苦手なのだが、国を越えた音楽を聞きながら、聞き入っている人、芝生に寝転んでまどろむ人、連れられて来たのであろうドラえもんを読んでいる子供...がいる。そういう風景を見ているとそんな言葉を少しだけ信じられるような、それほど満ち足りた空間だった。

  ちなみに今回のタイトルの「奇跡」は、その博覧会にて「くるり」がフルオーケストラと共に演奏し、私がいたく感動した曲。まさか聞けるなんて思っておらず、そして編曲も素晴らしく、こんなにいい曲だったのか、と会場で目頭を熱くした。その日から毎日聞いている。この奇跡、巷でよく聞く出会えた奇跡とかじゃなく、祈りに近い感情が歌われているところも素敵だと思う。

 

  平凡な毎日が幸せ。それはそうなのだが、まだ若いうちは少しくらい野心を持っていたいもの。秋はコマ数も少なく図書館も閉館で、下宿先で過ごすことが多くなりそうだが、何か馬鹿げた熱中できるものを見つけたい。そう思う今日この頃である。

 

 

"いつまでもそのままで 泣いたり笑ったりできるように

曇りがちなその空を一面晴れ間に出来るように"

  

アンダースタンド

  今日で上半期も終わり。

  と思ってなんとなく久しぶりにこれを書いているわけである。ブログのほうはあんまりであるが、何日かに一回は日記をつけている。読み返してみると非常に面白い。日記は感情の殴り書きで言葉が追いついていないのでとても見せられたものではないが。

 

  さて、上半期を振り返ってみるとなかなかに激動であった。何しろ冬には冷え切った部屋に籠ってひたすら塗りつぶしたり、試験に備えて徹夜したり、時間を計って赤本を解いたりしていたわけで。そこからなんだかんだと二回生になり今現在である。

 

  パラレルワールドなんてないので、どっちに転んだらどうなっていたかはわからない。なった側で頑張るしかないわけである。落ち込むこともあったけれど、割と元気になってきた。全ての傷口を縫合するのは時間である、と言ったのはかの夏目漱石であっただろうか。私ももうさすがに本調子である。

 

  5、6月は気候も良く好きな月なのだが、特に今年の6月はいろんな所へ行き、いろんな人に会えて本当に楽しかった。

 

  先日、中高からの夢(細やかで多分他の人にとってはものすごく下らないものだ)が3つ一気に叶ってしまった。その時からあの頃のことを思い出しがちなのだが、思っていたより大人にはなれていないし周りに適合も出来ていない。でも、中高時代の私が夢のような1日を運んでくれてきたように、今に意味が感じられなくとも真っ当していけばいつかはこの日々も意味を持つのかもしれない、そんな風に思っていたりする。今が無味乾燥とかそういうわけではない、充実してはいるのだが、このまま年月が過ぎ卒業して社会に出るのかと思うと一抹の不安を覚えるし、いつも何かやり残している気になる。

 

 

  いつかこんな日やブログを懐かしむのだろう。これがきっとモラトリアムってやつである。

 

 

  この間お酒を買う機会があったのだが、まだ年齢確認をされてしまった。私自身お酒はそこまで好きじゃないので、今日はこどもののみものを買ってきた。甘ったるさと感傷に浸って、また明日から切り替えて頑張りたい。とりあえず今週末は部屋掃除と試験対策を本格化させよう。

 

  では。

 

 

 

"軋んだその心、それアンダースタンド  歪んだ日の君を捨てないでよ"

絵画教室

  何年かぶりにそこそこ大きい自由画帳に自画像を描いた。

 

  たまに自画像を描くと頭も心もリセットされたようになることがわかった。今日はよく眠れそう。

 

"芽生えてしまった感情をわかってるくせに放棄して  自分で作った愁情に浸らないでよ"