奇跡
何とはなしにまた書いてみる。
約3ヶ月ぶりである。例の通り日記はつけているのだが。
学校がはじまった。
図書館が閉鎖してしまった学校では一人になれる時間も場所もない。本が読めないのはかなり痛い。
行き場を失った学生は食堂に雪崩れ込み、特に欲しくもないけれどジュースやお菓子を買って席についてだべる。今学期の食堂とコンビニは売上が伸びると私は踏んでいる。
夏休み。もう終わってしまったけれど、今年はいろいろな所へ行き、中高時代の友人と会ってきた。青春18切符をまた使って今度は待ってくれる人がいない地に行ってみるのもいいかもしれない。
最後の週末は、梅小路公園で開かれた京都音楽博覧会に行って来た。前日夜9時にチケットを取り翌日11時前には会場に到着、という思いつきもいいところの参戦。だがしかし、これが思いの外素晴らしかった。
知らない良質の音楽が放たれていくのを聞きながら、芝生の上でカルビを食べたりモヒートを飲んだり。お酒が飲めて良かったなぁ、と思えた数少ない一コマだった。「みんな同じ空の下」なんて浮ついた台詞は苦手なのだが、国を越えた音楽を聞きながら、聞き入っている人、芝生に寝転んでまどろむ人、連れられて来たのであろうドラえもんを読んでいる子供...がいる。そういう風景を見ているとそんな言葉を少しだけ信じられるような、それほど満ち足りた空間だった。
ちなみに今回のタイトルの「奇跡」は、その博覧会にて「くるり」がフルオーケストラと共に演奏し、私がいたく感動した曲。まさか聞けるなんて思っておらず、そして編曲も素晴らしく、こんなにいい曲だったのか、と会場で目頭を熱くした。その日から毎日聞いている。この奇跡、巷でよく聞く出会えた奇跡とかじゃなく、祈りに近い感情が歌われているところも素敵だと思う。
平凡な毎日が幸せ。それはそうなのだが、まだ若いうちは少しくらい野心を持っていたいもの。秋はコマ数も少なく図書館も閉館で、下宿先で過ごすことが多くなりそうだが、何か馬鹿げた熱中できるものを見つけたい。そう思う今日この頃である。
"いつまでもそのままで 泣いたり笑ったりできるように
曇りがちなその空を一面晴れ間に出来るように"