カレンダーガール

それはハッカ、これはにっき

We love Tank-top

  私は毎朝ちょっとだけ悩むことがある。さて、何の服を着ようか、と。

 

  大学生になったら制服がないので、毎日自分で服を決めて着て行かなければならない。しかも下宿生なので完全に自分の見立てである。つい少し前まで、平日は毎日同じ制服を着て学校に行っていたのにいきなり毎日私服とは。時々週末に遊びに出掛けたり、遠足に出掛けたりする時でさえ、何を着て行こうかと散々迷っていた。挙げ句の果てには、これなかなかおもしろいよね?!と、半ばネタのようにストライプのスカートにボーダーのシャツを着て出掛けていこうとして、慌てて母親に着替えさせられたような私である。さすがにこれは何年か前の話であるが。

 

  身長が変わらないので、なかなか着れなくなる服もなく服の新陳代謝も多分人より悪い。未だに中学時代の服も着れてしまう。ふらふらと歩くウィンドウショッピングは割と好きである。しかしいざ買うとなると、うーん、これだけあれば一週間過ごせるしCD一枚分かぁ...などと考えはじめ、そんなことを考える間もないくらい気に入ったものか、必要に迫っている時以外買うことは少ない。

 

  夏はまだいい。自分のバンドTシャツコレクションから一枚適当に選び下に履くものを合わせればなんかいい感じになる。(私目線で)洗濯も楽チン。しかし他の季節は割と困る。特に今のような朝は寒くて昼は暑いような時。見た目+体温調節となるとなかなか難しい。あまりに同じ服ばかり着回すようなことも、気づける範囲でしたくない。

 

  しかも結局すべて自分の見立てだから一切自信がもてない。今日は白衣を着るときに、痩せたブルゾンちえみっぽいなんかデキる女って感じの服じゃね!なーんて言われてしまった。確かに、今日は実験だし気合いを入れて割とかっちりした服を着ていたが、動いているブルゾンちえみを見たことがないのでよくわからない。どうなんだ。

 

  We love Tank-topとTank-top of the worldを聞いて、もう袖を引き裂いてタンクトップにしようかぁぁあ!なんて思うけれどそんなことはしない。(ちなみに、この2曲を歌ってるヤバいTシャツ屋さんというアーティスト、なかなかはちゃめちゃで最高なので最近イチオシである。)素朴ででもなんとなーくいい感じに小洒落てたいが、そういうのが一番難しいのだ。明日も頭を悩ませながら着替えるのだろうなぁ、と今から思っている。

 

 

 

 

 

 

"「そんなことないさ、ほら君もタンクトップを着るんだ!すぐにタンクトップワールドの一員さ!」"

Alternative Plans

  人生は選択の連なりである、と近頃何処かで聞いた、いや見た気がする。まったくその通りだと思う。今日の昼ごはんを食べる場所、そして食べるものにから進路まで、などなど選択の積み重ねである。

 

 

 

  もう思い返すこともほとんどなかったが、私はもともとは文学部に行きたかったことを思い出した。人一倍早くに中二病になり、罪と罰にはじまりいわゆる文豪と言われる人たちの本をこっそりと読んでは、人生について思い悩んでいた。日本の文学、加えて西欧の文学にも興味があった。そしてその頃は本気でライターになろうと考えていた。そのまま高校生になり、部活後に雑誌を立ち読みするかCDを中古で借りるか買うかして家に帰り、こそこそと批評を書いては直し書いては隠し、を繰り返していた。

 

  進路選択のときは忘れもしない。予備調査では2回とも文系で提出した。成績を見ても文系科目が良く理系科目が悪かったので、文系に進むのは至極当然だと思ったし、周りもそう思っていた。ところが、本調査提出の夜である。もうこれで文理が決まると思うと急に迷ってきた。本当にこれでいいのだろうか?と。調べてみたが、ライターは文理どちらの出身もいる。あんまり関係なさそうだ。その頃にはSEにも研究職にも興味が湧き始めていた。本当にこれでいいのか?散々悩んで夜を明かし、結局こっそり理系に変えて提出した。担任と母親には驚かれ呼び出しも食らったが、何故か父親は理系に進んで欲しかったらしく、喜んでいた。なんだか漫画みたいだが、これが私が理系を選んだ時である。

  こんなことするのは自分だけだろう、と思っていたが、なんと小学校から11年間クラスが同じだった幼馴染も同じことをしていた。一緒に文系だね!なんて言っていたのにお互い一言も言わずに突然変えて、しかもそれが同じだったのだから本当に笑ってしまった。

 

  そんなこんなで今理系に進んでいる訳だが、まったく後悔はしていない。むしろ文系だと私は大学のその先はどうしていたのだろうか、全然思い描けない。今だって大したビジョンがあるわけでもないが。

  何故あの時急に変えたのかよく分からないが、自分は趣味と仕事を一緒に出来ない性分だとなんとなく気付き始めていてブレーキをかけたのかもしれないな、と思う。歳はとったが未だに苦手なアーティストには適切な評価が下せないし、好きなアーティストには過剰に反応してしまうのだ。

 

 

  選ばなかった選択肢は時に輝かしくなる。もしあちらを選んでいれば、とは何度も思うがそちらを進んでどうなっていたのかもわからない。良かったかもしれないし、思いがけぬ落とし穴でもっと悪くなっていたかもしれない。選んだ選択肢がどうなるか、それもこれから次第である。選んだ選択肢がどうであるかよりこれで良かったとこの先で言えるように日々を歩んでいかなければならないのかもしれぬ。そう、この選択を生かすも殺すも自分次第なのかもしれぬ。

  と、ここまで大真面目に山盛りのフライドポテトを前に考えた。昼ごはんを食べていなかったので、14時からの限定のメニューを頼んでみたのだ。いつもこの時間は授業を受けているので食べたことがなく、何だろうかとワクワクしていたらなんとバーガーと共に大量のフライドポテトが。いやいや、これは選択ミスだったかもしれぬ。おいしかったけれども。

 

 

 

 

"Dreaming of the day We have some alternative plans  Like holding hands And staring up And couting little stars Smart enough to know It's sort of just a little joke I'm sorry I never meant to be like this"

水色の街

  帰宅後、今日はえっちらおっちら水をもらいに行った。このご時世に水汲みまがいのことである。

 

 

 下宿してから、水にも味があることを知った。実家の水とは全然味が違うし、風呂に入ってもシャワーを浴びてもなんとなくべたべたする。越してきてすぐの時は(その他の要因ももちろん考えられるが)シャワーを浴びると首下と背中にざぁっと赤いポツポツが出来て困った。今はだいぶ引いているが、まだ首下には赤いポツポツが出来ている。

  あと、私は胃腸が弱く年中腹巻が欠かせないのだが、安い腹巻をつけた時もそこだけ赤い斑点が出来て大変だった。安物買いの銭失いを体感した。

 

  今までは店頭で水を買うなんてありえない!と思っていたが、今ではミネラルウォーターの美味しさもわかるようになってしまった。ミネラルウォーターが美味しいというより、水道水がおいしくなさすぎる。そのまま飲む気になれないもの。

   水の味なんて知らなくても良さそうだけど、知ってしまうと美味しいものが飲みたい。進化というか退化というか。どちらだろうか。

 

 

  先日、とあるドラッグストアで、ボトルを買うとなんとかアルカリ水が汲み放題!の広告を見つけ、急遽ボトルを購入した。そうである、種明かしをするとその水を汲みに行っていたのである。怪しい類ではなく、ボトルも安価なもので数回行けばすぐ元はとれる。安売りの水より断然安い。だけども、このままでは水素水などにもハマりかねない。ウン万円のなんちゃら水がよく効く!!!最高手放せない!!!とか言い始めたら、全力で止めて下さい、お願いします。

夢とバッハとカフェインと

  一時期、「逃げるは恥だが役に立つ」というタイトルのドラマが流行った。(ちなみに私は見ていない)これ本当なのだろうか?その真偽のほどは定かではないが、私個人の意見としては、逃げる、というのも立派な選択肢の一つであると思う。まぁそりゃ逃げちゃだめな局面だってあるだろう。でも逃げちゃだめなものから逃げても、どうせ後から倍くらいの負担になって帰ってくる。逃げられないものだって世の中にはたくさんある。逃げれるものからは逃げてしまえ、と思う。

 

  例えば実験レポート。私からすると逃れられないものである。唯一3限が空きコマの今日、おしゃれな校内のカフェに出向き、ガリガリと書き上げた。今年から手書きなので厄介。

 

  と、その数時間後、私は気づくとカラオケ店の前に来ていた。Twitterで当たり散らした癖にまだまだこたえていた。春休みで、一人でいてこころがしんどい時はカラオケで好きなだけ歌うのが一番だと学んだのだ。

  というわけで1.5hのつもりが3.0hになるほど熱唱した。全部で3.40曲歌ったであろうか。一人カラオケだと自分の好きな曲を好きなだけ歌える。無名の曲や、タイトルや歌詞がちょっと人前では歌いにくい曲も歌いまくった。私は気分がのってくると歌えもしない英詞を歌い、とてもあがると「ラヴイズオーバー」を歌いがちである。今日は「ラヴイズオーバー」も歌った。だいぶストレス発散になったと思う。

 

 

  音楽、本、映画、漫画、アニメ...なんでもいいからどんな時でも無条件に好きで、しばしの間だけ現実から逃げられるようなものが一つくらいはあると楽なのかもしれないなぁ、なんて思った。もちろん、その後はちゃんと現実と向き合わねばならぬのだが。  

 

 

  向き合わねば、と言いながらも昨晩は更新する間も無く寝てしまったようである。まぁ、睡眠は大事です、うん。

 

夢とバッハとカフェインと とがったシロップがあれば どこまでも広がるCOSMIC どこまでも広がるCOSMIC"

ロックンロールは鳴り止まないっ

  今朝、実は三度寝した。4時55分に目覚め次に5時45分に目覚め、結局6時30分に起床した。睡眠時間は短くなるかもしれないが、n度寝はそれだけで幸せを感じられる。出来れば毎日起床時刻前に目覚めてしばしの間うたた寝したい。

 

  外はいい天気。外出日和。だが私は昨日映画に行ったばかりであるしお金がない。そうだ、こんなに天気がいいのだから洗濯物を干そう、と急いで洗濯機をまわした。一年で身についた一人暮らしの性である。洗濯物をただ干すのはつまらないので、オーディオでこの間買った新譜を聞きながら干していた。先週タワレコに立ち寄ったとき、久しぶりに名前を見かけて試聴したところあまりに良くて、まったく買う予定もなかったのに候補にしていた他の盤すべてをあっさり諦めて買ってしまった一枚である。圧倒的迫力と曲のパワー。でも重々しい曲と歌詞なのでこれは聞き手を選ぶな、とも思う。おいそれと人にはすすめられない。

 

 

  その後は部屋の掃除を主にしながら過ごしていた。途中、一年程前に壊れてそのままのiPod classicが息を吹き返すミラクルが起きた。そこからはひたすら今まで聞きたいけども聞けていなかった曲を聴いていた。iPodの時間は一年前のままである。懐かしい限りでいろいろ思い返してはもの思いにふけっていた。何を思っていたか書き出すと夜が明けるので割愛する。

 

 

  そんなこんなで日は暮れた。もう一日も終わる。ここのところ毎日こんな感じでまったく覇気がない。自分でもびっくりするほど。植物人間かお前、って感じである。毎日本を読んだりCD聞いたり、友達と(あるいはぼっちで)講義を受け少し喋って寝るの繰り返しである。明後日はバイトの面接だが、なんとかバイトでもして日々の活力を得たいところ。本当にばーさんになった気分である、感傷に浸るのも大概にしろと自分に言い聞かせたい。まだ短絡的とはいえ明確な目標があった日々のほうが何故かいきいきと日々を過ごしていただなんて皮肉である。

 

  来週行けばGW。頑張ります。

 

"今も遠くで聞こえるあの時のあの曲がさ  遠くで近くですぐ傍で、叫んでいる 遠くで見てくれあの時の僕のまま"

荒野を歩け ver.2

  今日は朝から京菓子つくりへと繰り出してきた。京菓子とは奇妙なものである。自分でつくってみるとわかるのだが、京菓子はただ色が違うだけの餡と餡と餡でつくられていたりする。そのままではまったくおいしそうには見えない。しかし、包んで形を整えて模様をつけると、それだけでおいしそうに見えるのである。よくお腹に入れば皆同じ!とは料理に失敗したとき思うことだが、やっぱり見た目も大事だと思った。存外、人間もそうなのかもしれない。

 

 

  その後、まさかの現地解散だったので急遽予定を変更し映画館へ向かうことにした。せっかく市内に出てきたのだから、映画を観に行かない手はない。二本ほど観たい映画があったが、その片方、「夜は短し歩けよ乙女」を観ることにした。

 

  結論から言うととてもおもしろかった。京都を舞台に、特に作者森見さんの母校の大学生のあれこれを描いた作品である。街や校内の描写のほとんどはどこか分かった。いつか巡りに行くかもしれない。あぁ、あそこじゃないか、あんな学生生活が送れてたのかもしれないのか(多分送れない)くそぉ...と、ところどころ勝手に古傷を抉られてもいたが。おもしろかった。加えて、観にきている人が原作好きが多かったようで、映画がはじまる直前まで来場者特典の冊子を食い入るように読む人や、終わった瞬間原作との違いを興奮気味に話し合う人々...などとても居心地がいい会場であった。隣の席に座っていた二人組が鑑賞後原作との相違点について熱く語っており、私も会話に混ざりたくて仕方なく五度見ぐらいして、うんうん、と心の中でうなずいていた。

 

 

  良い(この基準は個人によるものだが)映画や本を一作観終えたり読み終えたりすると胸がいっぱいになる。とてもわくわくする。今日もそんな感じで、このまま帰るのはもったいない、どこかで特別に一人でゆっくり過ごそう、と館内をめぐり結局ドーナツ屋さんに落ち着いた。途中クレープ屋を見つけ目が輝いたが、食べ歩き専門店で中でゆっくりとはいかなかったので遠慮した。クレープはまた今度である。

 

  そうして、そこで一息つきつつこうして書いているわけである。何日かは余韻に浸り楽しく過ごせそうだ。

 

 

 

  出来ることなら黒髪の乙女のように足取り軽やか天真爛漫に日々を過ごし、高らかに「お酒がある限り!」と言い放っていつかは美酒を求めて夜の街を闊歩したいものである。その日はまだまだ遠い、いや永遠に来ないかもしれないのだが...とか考えながら店を出たところで、自転車がドミノ倒しに倒れていくのを目にしたので片付けを手伝った。それだけでもともとの気分とあいまって気分は主人公である。夜の街を闊歩など出来ないが、駅の構内を意気揚々と歩いて帰宅した。私も御都合主義者なのだ。

ハム食べたい SCHINKEN

  昼休憩、それは熾烈なたたかいを強いられる時間である。食堂が狭すぎるために席確保がなかなか出来ない。食いっぱぐれる人も多い、特に今の時期の一年生。このたたかいに勝つために大事なのは一人になることを恐れないことである。複数人で食べようと思うからその人数分の空きが見つからないのだ。一人分のスペースなら見つかる。

 

 

 

  というわけで、私は今日ぼっち飯をかまして来た。本当なら3限必修で2限必修終わりに友人たちと食べるのだが、3限休講のためみんな帰宅するらしい。4限がある私はまだ帰れない。昼を食べようと食堂へ向かう。今日の混み具合は凄まじく、おひとりさまのカウンター席も空きがないほどであった。立往生していたところ、運良く近くのおひとりさまの席が空き滑り込めた。

 

 

  荷物を置き注文を待つ長蛇の列に並ぶ...ことなくその列の横をすり抜け量り売りコーナーへ。一品一品頼むと高くつくわりにそこまでの品数は頼めない。おまけに常に金欠気味なので、私は量り売りコーナーを愛用している。下宿しているとなかなか多くの種類のものは食べられない。せめて昼だけは様々な種類のものを食べ栄養バランスを整えた気になりたい、という理由もある。何故みんな量り売りコーナーに寄らないのか疑問に思う。

 

 

  今日は、ブロッコリーとほうれん草のピーナツ和え、キャベツと海藻サラダ、卵焼き、ひじき、きんぴらごぼう、鶏肉。全部ひとつかみほど、これで260円ちょっと。手持ちのおにぎりと合わせれば充分。量り売りは下宿の味方。

 

 

  レジに向かおうとしたところで、目にチーズクレープの文字がとまる。ここ何日か、クレープは神、クレープに救われた、という文を見ていた私。正直洋菓子より和菓子のほうが好みであるし、しかもクレープはうまく食べられる気がしないこともあり、関わりも薄い。クレープに関する最後の思い出は、卒業記念に友人たちと東京旅行に行き、竹下通りか何処かで雑誌に載っていた有名なクレープ屋さんを見つけたものの、長蛇の列そして人混みのせいで、歩道の反対側にあったクレープ屋に並ぶことすら叶わず、ガン見しながら流された記憶である。この時も食べてないし、ここ最近食べた記憶もない。しかし一連の発言を受け、クレープ食べてみたい、と思い始めていた矢先のこのチーズクレープである。おまけに82円。なるほど、こうやって口コミが広がるのだな、と思いながら購入を決意した。

 

  タネを明かしてしまえば、チーズクレープはなんちゃってクレープで私の予想していたクレープではなかった。片手サイズのクレープ生地の中にチーズクリームが入っているだけだった。ちょっとがっかり。まぁいいお口直しにはなった。

 

 

  昼ごはんを食べ終わった瞬間、いつかクレープ食べよう、と心に決めつつ、ごちそうさまと言い手を合わせた。