カレンダーガール

それはハッカ、これはにっき

転がる岩、君に朝が降る

  今週末もブックオフタワレコと鴨川を巡り歩いてきた。

 

  4月は、とりあえず真面目に大学の勉強に取り組みながら今まで使えなかったお金と時間を自分の好きなことに費やそうと決めていて、実際そうしてきた。ところがどっこい、充実するどころかなんだか無になる。いや、ある意味では充実している、好き勝手にしているのだから。だけどふとした時に無に還る。別に好きなことをしたからといって、運命的に何かに目覚めてその道まっしぐら...!!みたいな出会いがあるとは思っていたわけではない。(どこか心の隅でそんなことを望んでいたのは確かかもしれないが。)ぼやっ〜とふにゃっとした日々を過ごしている。

 

  思い返せば忙しい忙しい、と言いながら何かに熱中していたほうがやっぱりいきいきしていたと思う。急いて見つかるものでもないが、何か熱中できるものを見つけたい。

 

 

  私が好きな歌の歌詞に「死にたくないとか生きていけないとか 若き日によくこぼしたあの口癖は  いつの日か誰かの心を癒すでしょう  そしてまた新たに生きる喜びを知るのでしょう」という一節がある。そんなもんなのだろうか。

 

  見る限り、世の学生達皆がこのような空虚感を抱いているとも思えない。それとも皆こんなことを何処かで考えながらも日々を過ごしているのであろうか。

 

 

 

 

  今日もCDをたくさん買ってしまった。高校の時分も、食費を浮かせてCDを買ったり借りたりして夜な夜な聞いていた。まるで変わっていない。誰かと話したり声を聞きたいような、けれども一人で物思いにふけっていたほうが良さそうな。本や音楽はこんな時に寄り添ってくれる、私にとっての最高のツールである。虚無は消えても無だから何らかの形で満たさねばなくならないであろう。本や音楽はは満たすことはなくても浸らせてくれる。終わってしまうと現実に引き戻されるが、それでも何かは残してくれる。

 

 

 

  こんな駄文はあとから読むと恥ずかしく消してしまいたい衝動に駆られるとわかっていながら、のんべりだらりと書いてしまう。メンタルがヘラっているわけではない、と思う。感傷的なのも無駄に何かの一節を長々引用するのももともとだ。もともとめんどくさい奴である。もっとこう、締まった日本語を扱いたいものだ。

  4月はこんな感じだった。来月末には何らかの進展が見込めるような日を過ごしたい。

 

 

 

 

"理由もないのになんだか悲しい  泣けやしないから余計に救いがない  そんな夜を温めるように歌うんだ"